皆様には、生前大変お世話になりました。ありがとうございました。
藤森さんが、こちらへの投稿を勧めてくださったので、良一の人生を紹介させてください。
山川 良一
令和1年11月7日没 60歳
出身 東京都豊島区池袋
父 山川 健太郎(昭和34年没 33歳)
母 山川 君江(令和1年没 90歳)
父は、良一の祖父の後を継ぎ日本橋で時計屋を営んでいましたが、色々あり、母と結婚した時には、良一と同じ様なクリエイターの仕事をしていたとのことで、旧豊島公会堂の緞帳の仕事もしたとか母からきいておりました。その父が良一と命名した生後1ヶ月後、良一が生まれた同じ病院で他界し、母は、祖母などに助けてもらいながらも、女手ひとつで、一人息子を芝浦工業大学を卒業させてくれたそうです。
母は、2年前から、病気で入退院を繰り返す中、退院の度、二人でレストランで食事をしたり、入院中は見舞いに週1、2回、親子の充実した時間を持てたと思います。その母も、2019年9月の初めに、良一に見守られながら、90歳で他界しました。
良一は、 大学卒業後、株式会社 タカラでオモチャの開発マンとして9年間、その間に、1988年5月に大学時代に知り合った私と結婚。その後独立し、コーサデザインプロダクションを立ち上げ現在に至るまで、各種企業や専門学校の入学案内や公共施設などのグラフィックデザインを手掛け、東京デザイナー学院にてのデザイン講師、オモチャの企画、設計、展示場の企画、デザイン、などを手掛ける。
1999年、長男が生まれ、その頃から、高校生時代に作っていた鉄道模型の製作に再び携わるようになり、クラシックストーリーのブランドで、レーザーカットによる模型キットを発売してきました。商品数も100以上あり、ホームページもありましたが、山川が入院したあたりから、なぜか開けなくてなり、今は私も忙しく、そのままにしています。
イベントが好きで、人が好きで、自分の好きな事には、トコトンのめり込み、仕事も一生懸命でした。30年前のまだ日本語が動かないアップル社のMacをデザインに使えるようかなり早くに取り入れて、皆さんに教えてあげたりもしていました
古い物が好きで、鉄道は、子供の頃からの趣味でした。古いイギリス車やイタリア車が好きで、また、スキーやシュノーケリングや旅行、ドライブ、モチロン飲み会が大好きでした。
母の死後から急速に体調が悪くなり、9月24日に検査入院で、肺ガンと診察されるも、家族にも頑張って治すからと日々頑張っていましたが、肺炎になり、11月7日11時30分に無念の死に至りました。